町工場は、数ヶ月前まで困窮していた。取引先が減り、支払いが滞り、工場長の佐藤は常に顔を曇らせていた。社員たちも、心のどこかで「いつ閉鎖されてもおかしくない」と感じていた。だが、そんな時、ある神社から御守りの発注が舞い込んできた。神社からの注文なんて珍しくないはずだが、その規模は異常だった。何かが、うまくいく予感がした。
「これで少しは助かるかもしれないな」
佐藤がつぶやいたその言葉には、少しの希望が込められていた。納期はタイトで、急な作業だったが、どうにか乗り越えられるだろうと、工員たちも腹を決めた。
御守りの製造は予想以上にスムーズに進んだ。機械も調子よく稼働し、トラブルもほとんど発生しなかった。納品も無事に終わり、みんなが仕事を終えると、ふとした違和感を感じることがあった。それは、ほんの些細なことだった。
まず、工場内での作業が異常に順調に進み、業績も見違えるほど向上した。部品の調達が以前よりも格段に簡単になり、急な納期にも柔軟に対応できるようになった。そして、驚くことに、宝くじを買った工員たちのほとんどが当選した。額は小さかったが、それでも何か大きな変化が起こっていると、誰もが感じた。
「これ、もしかして御守りのおかげか?」田中が半分冗談で言ったが、工場内ではその言葉に半信半疑ながらも、どこか本気で信じているような空気が漂った。
その後、恋愛運も続いた。昼休みの時、工員の一人がニヤニヤしながら話していた。
「昨日、彼女に告白したんだ。返事ももらって、付き合い始めた」
その言葉に工員たちが驚き、続いて他の工員たちも「俺も、告白したんだ」と嬉しそうに語り合う。「こんなこと、今までなかったよな」と誰もが思った。そして、今度は誰もが気になる女性に告白し、どんどん付き合い始める。なんとも不思議なほど、次々に彼女ができていった。
だが、ここから少しずつ、違和感を感じる瞬間が増えていく。その幸運が次第に不安に変わり始めた。あまりにも順調すぎるのだ。宝くじが当たったり、恋愛がうまくいったり、仕事が軌道に乗ったり、すべてが絶妙なタイミングで重なり合っている。
それが全て偶然ではなく、御守りが「本当に」何かをもたらしていると信じるには、あまりにも完璧すぎた。
そして、ある日、佐藤がニュースを見て呆然とした。目の前にあったスクリーンに、神社の名前が大きく映し出されていた。
「あの神社、詐欺だったらしい」
報道内容に耳を疑った。架空の宗教団体で、信者から金を集めるビジネスをしていただけの詐欺集団だという。工場内にその情報が伝わると、一瞬の静寂が広がった。誰もがその報道を確認し、何が起こったのかを理解しようと必死だった。
田中が呆然と口を開く。「つまり、あの御守り、全然効力なんてなかったってことか?」
誰もが言葉を発することができなかった。あんなに幸運に恵まれていた日々が、全てまやかしだったのか。宝くじ、仕事の成功、恋愛…それら全てが偶然だったのか。
「それでも、俺たちが成功したのは事実だろ?」と中村が言ったが、その声は震えていた。
佐藤は無言で画面を見つめた。やがて、彼は静かに言った。「でも、俺たち、今まで何を信じてたんだ?」
その言葉が、工場内に深い沈黙をもたらした。もしかしたら、この「幸運」は、最初から存在していなかったのかもしれない。神社に依存していた自分たちの信念、そしてそれを支えていた自分たちの心が、すべて無駄だったと気づいたとき、背筋が凍るような感覚が広がった。
誰もが目の前の現実を受け入れられなかった。今まで信じていたものが、ただの幻想だったと気づくのは、あまりにも辛かった。宝くじも恋愛も、すべてが裏切られたのだ。
佐藤がゆっくりと、ため息をつく。そのため息が、今までの希望と喜びをすべて吹き飛ばしていくように感じられた。
「全部、無駄だったんだな…」
その一言が、工場内に深い絶望をもたらした。何もかもが終わり、空気が重くなり、誰もがその重みから逃れることができなかった。ご利益と思っていたものが、ただの幻想だったと分かった瞬間、彼らの世界は崩れ落ちた。
そして、その後、誰も口を開こうとはしなかった。空虚な沈黙が続き、やがて工場の中は、かつての活気を完全に失ってしまった。
その時、工員たちはもう、何も信じることができなかった…