昔、小学生の頃、ローカルな怪談として「ちゅーるおばさん」っていうのがあった。
あったというか、まあ、居たという方が正しいかもしれない。怪談というの正しい表現ではない。だって、本当に居たんだから。
実在の人物を怪談呼ばわりだなんて、失礼の極みみたいなもんだが、小学生にとっては恐怖の対象だったし、小学生なんていうのはなんでもかんでも都市伝説にしたがるもんだろうから、しょうがないっていうものだ。
私自身、例に漏れず怖がって面白がっていたものだから、他人面はできない。
でも、まあ、本当に怖かったからね。ちゅーるおばさんは。
ちゅーるおばさんは、通っていた⚪︎⚪︎市立第二小学校の近所に住んでいた老婆だ。
近所といっても、学校の敷地のほとんど間隣に住んでいたからその小学校の中では有名だった。老婆が住んでいたのは築50年か、60年かというボロ屋だ。
まあ、戦後に建てられた安価な団地のひとつだっていう感じだったのだが、敷地内に建っているのはそのボロ家一軒だけだったから正確に団地と言って良いのかはわからない。でも、そういう雰囲気の家だって言えばわかるだろう。
ちゅーるおばさんが、なぜちゅーるおばさんなのか、なぜ怪談だったのか、その理由は限りなくシンプルで、それは、おばさんがよくちゅーるを食っていたからだ。
人用じゃないぜ。(あるか知らんけど)もちろん、猫用のちゅーるだ。無表情でちっちゃい個包装からチュッチュと食ってた。
おばさんの家は平屋だから、道路から5mくらい入れば、ベランダから部屋の中が見えたんだ。
今思えばやってることはガッツリ覗きだからしょっぴかれて然るべきだけど、当時小学生の身としてはタブーを犯して人の家の敷地に忍び込んで覗き行為をするのはある種、刺激的だった。
もちろん自分以外の生徒も随分沢山がその覗きをやっていたのだからちゅーるおばさん自身や小学校側もある程度認知していただろう。
で、私自身がそのおばさんの生態を初めて目撃したのは、小学校4年生の時だった。
おばさんは、たぶん年金で暮らしていたからずっと家に居たようなのだが、夕方は警戒するのかちゅーるを食うのはもっぱら昼間だという噂だった。
その日は、行事ごとの前日で授業が午前中に終わり、生徒達はクラスごとに集団下校をしていた。
普段の通学路はちゅーるおばさんの家と逆方向なのでそもそも立ち寄ることがなかったが、その日はたまたま誘われるままに覗いたんだ。
で、おばさんは、ほんとにちゅーるを食ってた。
私はびっくりしたね。当時、身近に居る動物としては祖母の家で飼っていたゴールデンレトリバーだけで、ペット用のご飯というのはそのゴールデンレトリバーのジャーキーしか見たことがなかったんだが、あれはそもそも食べ物と言えるかどうか微妙なくらい、臭いからだ。
だから、ペットフードっていうのは臭くて、食べるだなんてあり得ないと思っていたから、衝撃だった。なんだか気持ち悪くて、思わず、えずきまくった。友達らの輪に馴染むために、わざとオーバー気味にリアクションをして嘔吐しようとしたが、吐くことはできなかった。
まあ、実はちゅーる自体は、猫を飼っている人にはわかるかもしれないが、意外とシーチキンみたいな匂いがして美味しそうなんだ。でも、その時は猫を飼ったことがなかったし、ちゅーるも買ったことがなかったからそこまではわからなかった。
私がいま、わざわざこんなことを取り上げてなぜこの文章を書いているかと言えば、今から書く次の事件があったからだ。これは子供だった自分には衝撃的で、誰にも言い出せずに十数年ずっと胸に秘めてきたことだ。
ある日、私は学校を早退した日があったのだ。
ちゅーるおばさんの家を覗いてから一年くらい経った時で、小学5年生の夏前だった。
私は熱があって早退されるように言われたのだが、何故だか調子は良くて、いつもはまっすぐ帰るところを逆方面、つまり、ちゅーるおばさんの家の方向から帰ったのだ。
一人なら、集団心理道も無くて、私は臆病だったから人の家を覗こうとは思わなかったのだが、その日は熱のせいか浮かれて、ちゅーるおばさんの家の敷地に入って、ベランダを覗いたのだ。
そこに居たのは、ちゅーるおばさんと、5歳くらいの少女だった。
ちゅーるおばさんは独り暮らしだとずっと思っていたから、なぜ少女が?と思ったが、その疑問はすぐにかき消された。
おばさんが、少女にちゅーるを食べさせていたんだ。
私は、相当びっくりしたね。ちゅーるおばさんが、個人的な変態的な嗜好としてちゅーるを食べているとだろうと解釈していたから、それを、まあ、身内だろうけど少女にも強要していたのは理解ができなかったのだ。
少女は、ためらわずちゅーるを吸っていて、私はびっくりして、悲鳴は出なかったが、思わず後ずさった。
敷地内は砂利だったから、足音がギュチっと鳴って、少女が一瞬こちらを見た。
私は顔を見られまいと思って全力で走り去った。
事件はそれだけでは終わらなかった。
小学校の中で、おばさんからちゅーるを貰って食べる児童が現れ始めたんだ。
最初の児童は、たけし。
たしか、名字は前田だった。
たけしも学校の近くに住んでいて、家は相当デカかったが、これも相当老朽化していて、豪邸という感じではなかった。
たけしの家には凶暴な番犬が居て、人気があればとにかく狂ったように吠えまくるから、怖くて立ち寄りがたい家でもあった。
たけしは、まあ、いつも同じ服を着ていて、クマちゃん🐻のアイロンパッチが付いた赤いスウェットを着ていたのだが、いつか着いたのだろう歯磨き粉の乾燥してやつが腹部に残っていてかなり気持ちが悪かった。
ある日、たけしがちゅーるおばさんにちゅーるを貰ったと、自慢げに語っていた。
私は気味が悪くて、そんな事はやめなよ、みたいなことを言ったと思う。たけしはあまり聞いていないようだった。
その時は、当然周りの生徒も同じように非難するものだろうと思っていたが、なぜか皆羨ましがっていて、私にとってはそれも気味が悪かった。
そして、それだけに留まらず、それからすぐに二人、三人と、ちゅーるおばさんにちゅーるを貰う生徒達が現れた。
不思議だったのは、皆、一様に口を揃えてそれを自慢気に語ることで、私は、たしかに少し前までは皆がちゅーるおばさんを怪物扱いしていたのに、どうしてこうも手のひらを返すのか、ということだった。
で、間も無く、ちゅーるを貰った人達以外にも、貰っていない他の生徒達も次第にちゅーるの授与を羨ましく思うようになっていって、たけしがちゅーるを食ってから一ヶ月後くらいにちゅーるおばさんの家へちゅーるを貰いに行く先遣隊が組まれた。
そのメンバーは私を含めて6人ほどで、たけしが先導する形だった。
まあ今では、小学校では不審者を警戒するように厳しく教えられているだろうから、間違ってもそんな胡乱な老婆の家に訪ねるなどあり得ないだろうが、それでも20年くらいは昔のことだから、その時はまだあり得ないことでは無かった。
というか小学校の近所で子供達の怪談の対象となっている老婆など、二十年前でも学校側の警戒対象だっただろうが、子供達には「ちゅーるおばさんの家には近寄るな」などと指導は無かった訳だから、もしかしたらちゅーるおばさんは、特殊な事情で学校側と微妙な関係を保っていたなかもしれない。
さて、「先遣隊」として派遣された私達のグループは、編成された日の放課後に、つつがなく老婆の家へ到達した。
老婆の家はいつもベランダから見るばかりだったので、家の外観とは裏腹に玄関が新鮮で、それが印象的だった。
老婆は戸を叩くとすぐに現れ、私たちを居間に通した。
老婆の家のあばら屋は臭く、当時は何の匂いかと思っていたが、今思えば染み込んだ人の皮脂の匂いだった。私は気持ちが悪くて、息が詰まるようだったが、たけしは平気そうで呑気な顔をしていた。
アポ無しで訪問した割に、老婆は上機嫌で、まあ、やっぱりというか、何故だか、いや、もしかしたからボケなのか、いやたぶんそれは無いか。本当にちゅーるを出してきた。
私は、この老婆は本当に気が狂っているのではないかと思ってちゅーるに手を出すまいと考えたが、たけしはいの一番にちゅーるのフチを切って中身をしゃぶり始めた。「先遣隊」の同級生達もそれに続いた。
私はしばらく口をつぐんでいたが、たけし達は楽しそうに、その日学校であった出来事などを老婆に語った。老婆は意外にもにこやかにその話を聞いていた。
私は、それを見ていたら、そのうちその場にいる全員、老婆も、他の「先遣隊」のメンバー達も、全員が同じ人間ではないような気がしてきて、そう考えていたら次第に、初夏だというのに手足が冷たくなった。
1時間くらいして、老婆の家の壁掛け時計が16時のチャイムを鳴らしたことで、私達は退散した。
先遣隊のメンバーは楽しそうに帰り道をたどり、途中で用水路の対面に植わってる桑の実を食べた。これは私も食べた。
先遣隊は間も無く解散し、それから一週間後くらいには老婆の家を訪れてちゅーるを食べる者も居なくなった。
だが、それと同時期に、私の家の隣には、家族が引っ越してきた。見覚えのある少女と、その親と思われる若い女性だった。わたしは彼女らを、ちゅーる一族だと思って注意深く探ったが、ちゅーるを食べている様子は全く無かった。
それから十年ほど経って、私が地元を出たのちに、彼女らもまた引っ越して、老婆は不明だがちゅーる騒動は皆の記憶から消え去った。
私は折に触れて当時の友達らにちゅーるおばさんのことを聞いたが、なぜか全員が覚えていなかった。
ただし、まあ、たけしはその後もちゅーるを食っていたようだ。成人式でたまたま再会した時に、たけしはその話題を気にしていたのだが、それは過去のことだと感じた。
私はその時思ったんだが、やっぱりあの時ちゅーるを貰いに行くべきではなかったな。